黒柴りゅうたの超日常

愛犬りゅうたと過ごす日常や、高山のこと、あれこれ思ったこと語ります

死生観

東京都の福生病院での透析治療中止についての報道がされていますが、患者本人、家族、医師、それぞれの立場での考えや判断があったのだろうと思います。

その立場に立つと理解できることもあるのかもしれません。

詳細がわからないのでそれについての言及をするつもりはないのですが、このニュースを知って、私も自分の死生観を改めて考えたのでそのことについて書きたいと思います。

あくまでも私の見解なので世の皆さんにわかってもらおうとか、広めようというものではないので悪しからず。

千差万別の意見があって当然です。

私の望み

私は平均寿命まで生きなくてもいいと思っています。日本女性の平均寿命は87.26歳。そこまで元気で迷惑かけずに生きていられるのなら生きていても結構ですが、人の手を借りて生きなければいけないのなら生きなくて結構です。

むしろ長生きしたくない。

家族や人様の負担にはなりたくない。

もし病気になったら、生命を脅かす病気だったとしたら、なるがままでよいです。

しかし今はまだ子供達を育て上げていないので生きなければいけない。

それは義務として果たさなければ。

だから今そうなった場合には積極的に治療して戦うつもりです。ただそれは勝算がありそうな場合にのみ。

もう見込みがない場合はかえってまわりに精神的にも経済的にも負担をかけるのでやめておきます。

子供達が自立して手が離れたらもう結構です。

 

年金いりません

年金をかけているのだからもらえるものはどれだけでもお得にもらいたいという人もいますが、私は全く思いません。

ただ、自分が働けなくなって収入がなく、それでも生きていかなければならないときはもらうしかないと思います。

十分に貯金ができていれば問題はないのですが...???

少子化の時代にあまり負担かけるわけにもいかない。

 

怖くない

私は死に関してあまり怖いとは思いません。身近な家族や知り合いの方達の死を

たくさん経験しているのでいつかは誰もが死ぬんだと思うし、きっと一人じゃないんだろうなと思うのであまり怖くありません。

といっても実際に死を間近にすると、とてつもなく怖くなるのかもしれません。

今はまだ先の出来事と考えているから平気なだけかもしれません。

 

自分で決められること決められないこと

例えば病気になって、この治療を受ける、受けない、やめる、というのは自分で選択して決められますが、体が不自由になったとか、寝たきりになったとか、精神的につらいとかでもう生きたくないと思っても自ら死を選択することはできません。

回復の見込みのない方々の尊厳死、安楽死という見方は今後時代と共に変わってくるかもしれませんが。

死に関わる病気かなにかでなってあっさり死ねればいいですが、皆がそうではありません。

そこは神様の思し召しに従うしかありません。

 

迷惑かけずに

長生きしたくないというと「そういう人に限って一番長生きするんやよ」とよく言われます。そう、私は長生きするかもしれません。

子供達、旦那、子供達の配偶者、介護士さん等々多くの人にお世話になって生きているかもしれません。

なるべくそうならないようにピンピンコロリと逝けるように願っています。

精神的にも経済的にも人に迷惑をかけずに自分が自分でいられるうちに...

 

 

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